近年、海外からの日本へ来る旅行者が増えていて、多くの外国人たちの不満の一つが「日本人は英語が話せない」ことだそうです。
外国人へのインタビュー動画を見ていると、時に日本人の語学力の低さをあざ笑うかのように「英語が通じなくてマジ不便」といった発言を聞くことさえあります。
確かに、他のアジアの観光地に行けば、ホテルや飲食店などでは、それなりに英語が通じることが多いです。ところが、日本では英語が通じるところはまだ少ないようですし、急激に増えた外国人観光客に対応しきれない部分もあるでしょう。
ただ、日本人が英語が話せないことは恥ずかしいのか?批判されるべきものなのか?と考えたとき、決してそうではないと思います。
他のアジアの国々に比べて、日本は国力が強く、国民の多くが外国人に依存しなくても生活できる環境にあります。
経済を考えたとき、貿易などを通じ海外との取引はありますが、それは専門の商社などがやってくれることで、一般の日本人は英語に依存しなくても生活ができます。
日本人は英語が話せないと馬鹿にされる筋合いはなく、英語が話せなくても、独自の言語と文化で生活ができる「豊かな国」と考えてもよいのではないでしょうか。少なくとも今までは・・・。
植民地にならなかった日本
東アジア・東南アジアの国々(タイ・日本除く)は、歴史上、アメリカやヨーロッパの国々の植民地になっていました。
そのため、植民地時代には英語やフランス語などが共通言語として使われ、元々あったその国の言語がすたれていったり、二言語以上が使われるようになったりもしています。
たとえば、フィリピンは長い間、スペインやアメリカの植民地でした。1900年ごろからアメリカの植民地になっていた影響が強く、植民地から脱した後も英語は公用語となっています。
フィリピンでは、英語が学校や行政機関で使われているため、フィリピン人の9割くらいが英語を話すと言われています。
英語が話せて人件費は安いということで、英語圏の企業がフィリピンにビジネス拠点を設けている現状があります。世界的な企業のコールセンター(英語)がたくさんあったり、日本人向けの英会話学校なども近年は話題に上がっていますね。
こういった環境が良い悪いは別にして、日本は植民地になって英語や外国語を話さなければならない状況に陥ったことはなく、今でも日本人は日本語を話す環境が当たり前であることを誇っていい国であると思います。
経済力の弱い国々は欧米諸国に依存するしかない
経済力の弱い国々は、先進国や欧米の国々に依存しないと生きていけない現状があります。
多くの国民が海外へ出稼ぎに行かなければならない国もあります。日本でも、外国人労働者が多数入ってきています。
海外に出稼ぎに行くとなれば、外国語の習得は必須です。その中で、英語は一番話される言語であるため、英語を学ぶ人は多いです。
生きていくためには、英語を話せるようになるしかない、英語が話せないと仕事が得られない、という状況になればそれは必要に迫られて学ぶしかないでしょう。
アジアの観光地では、露店のお店であっても、英語が話せるか話せないかで、繁盛の具合が変わってくれば、英語は必須になってきます。
日本で出稼ぎといえば地方から都会に出ることが多いと思いますが、国自体が貧しければ、国を出て他国に行かなければなりません。
歴史的には日本でも貧しい時代があり、一部の国民が北南米に海外移住した時代がありました。しかし、現在は他国に移住しなければならないほど、日本人は困っているとは言えないでしょう。
海外に出稼ぎに行くことで家族を支える必要がない、欧米諸国を頼ったり英語を必要としないで生きられるというのは、ある意味、幸せで豊かな国であるともいえるのではないでしょうか。
英語が話せなくても困らない国「日本」
他のアジアの諸国に比べて、日本は英語が話せなくても、仕事に困りませんし、生活にも影響がありません。
欧米人が英語を話すからと言って、日本人の多くはその人たちから仕事をもらう、お金をもらうために英語を話す必要がありません。
英語を使う職種はありますが、全体で見れば、国民のほとんどが英語に依存していませんし、英語が話せなければ良い職に就けないというわけでもありません。
日常生活で、英語が話せたら便利かもしれないけど、別に話せなくても全く困らないという環境が維持されていることは、日本に国力がある故で、日本が誇れる部分ではないかと思います。
英語が話せない、英語が通じるお店が少ないと海外の人から言われても、全く卑下することではないはずです。
観光客が訪れるお店などで英語が通じるに越したことはありませんが、少なくとも一部の外国人が密かに思っている、英語が話せない日本人⇒能力の低い人種ではありません!
英語を話す必要のない環境で暮らしてこれたということは、外国や外国人に影響されない良い環境で生活できてきたという見方もできるでしょう。
「英語が話せなくて、ごめんなさい」の考えはやめよう
英語が話せないから外国人に馬鹿にされたとしても、「私たち日本人は、欧米の植民地になったことはないし、英語を話さなくても独自の言語と文化で生活できる豊かな国に生きている」と自信を持っていいと思います。
一部の文化人や経済界のリーダーと言われるような人たちが、日本人が英語を話せないことが恥ずかしいことのように言っていることがあります。
その人たちがどれほど英語が話せるかと言えば、実際はそれほど流暢に話せるわけではなかったりするのですが、影響力のある人たちが言うと、英語の話せない日本人は能力の低い人たちのように聞こえてしまうことがあります。
日本の英会話学校でも、英語が話せないことをネガティブなことのように宣伝していることがあります。集客のための煽りもあると思いますが、英語が話せないことに対して劣等感を抱かせることに違和感を感じることがあります。
「英語が話せない人=劣等生」そんな風潮を感じたことはありませんか。
確かに、日本の英語教育は中学・高校と6年間も行われているので(近年は小学生から学んでいる)、その環境の中で、簡単な英会話もできないことは恥ずかしいと思うところはあるかもしれません。
それが、外国人と接したときに、英語が話せなくてごめんなさいといった心情ににつながるのかもしれません。
道を尋ねられた時など、英語が苦手という以外に、力になってあげられなくてごめんねという日本人的な優しい気持ちもあるでしょう。
英語と同列に、数学や物理など別の科目で考えたとき、受験勉強として習ってきたようなものは、日常生活に順応しにくいことがあります。
美術や音楽が苦手という人もいるでしょうし、英語だけが際立って取り上げられるべきではなく、何年学校で学ぼうとも、いやいや習っていたものは身につかないということは不思議ではありません。
学校で習う一教科(英語)が苦手であっても、別に恥じることでも何でもないと思います。
間違いを指摘する英語インフルエンサーたちの副作用
YoutubeやTikTokなどの動画では、英語学習者向けの動画で溢れています。中でも人気なのが、こういう言い方をすると、アメリカ人には間違って聞こえます、恥ずかしいですよといった内容を伝える動画です。
たとえば、I like dogs(犬が好き)と言いたいところを、I like dog(sをつけて複数形にしていない)と言ったら犬の肉が好きです、みたいになるといった具合です。
会話の流れがありますし、この人は英語が余り得意ではないとわかっていれば、スルーしてくれるような問題だと思います。一部の国に限っては、そっち系の肉が食べられるお店に連れて行ってくれるかもしれませんが、普通はないでしょう。
うんちくや細かいことが好きな方も多いので、この種の動画の視聴数が伸びるのかもしれません。
しかし、ネイティブの講師が丁寧な指導のふりをして、ネチネチと煽るような動画を出していたりすると、そこまで英語初心者の日本人を小馬鹿にしなくてもいいのにと思ったりもします。
この種の動画を面白おかしく楽しむ分にはいいですが、勤勉でまじめと言われる日本人にとっては、「恥をかきたくない、笑われたくないから、英語を話したくない」という意識を強めさせてしまうかもしれません。
間違った言い方をすることで、恥をかく、馬鹿にされると思うと、英語はどんどん話しにくくなると思います。
英語を話すときのネガティブな面を考えるより、もっと英語での交流を楽しめる部分に集中した方がいいかなと思います。
個人的には、こういった細かいことや粗探しみたいなことに注力するより、まずは必要なことを伝えられる会話文や基本文法を学習する、単語をたくさん覚える、きれいに発音できるようにフォニックスなど音声学習をする方をおすすめしたいです。
環境が変われば実力を発揮する日本人たち
前出の通り、英語が話せない、英語が身についていないからといって、自分自身を卑下することはありません。
日本にずっといるなら、別に英語を話せなくても問題はないでしょう。留学に行くのであれば、そこからしっかり英語を学べばいいのです。
実際、英語に苦手意識を持ちながらも渡米して、たくさんの日本人がアメリカの大学を卒業しており、アメリカの大学では日本人の素養や能力の強さを見せています。
日本人と接することの多い大学の教授たちは、日本人の勤勉さに驚いたり、猛烈に学ぶ姿を見て末恐ろしいと感じる方もいるそうです。
アメリカ留学して帰国する日本人を見れば、日本人の多くは本当に必要となったら英語を身に着ける高い能力があることがわかるはずです。
私たち日本人は、英語が話せない劣等な民族でなく、必要に迫られていないだけだと思います。
英語が話せることで広がる世界は多々あります。仕事はもちろんのこと、趣味や海外旅行、海外の人たちとの交流などもあるでしょう。
そんな新しい世界を見てみたいのであれば、外部から植え付けられた苦手意識や劣等感を取り払って、英語を学びなおす、目的をもって学ぶことを、今からでも始めてみてもいいのではないでしょうか。