留学をするには、夢や目標やがあるはずですが、可能であれば、それに最短でいけるように計画&実行することをお勧めしたいです。
もし、大学卒業が目標であるなら、語学学校でのんびり英会話を学んでいたり、ホームステイや旅行など楽しい留学をしている余裕はないかもしれません。
私は、アメリカの大学でビジネス系の知識を蓄えること、そして、大学を卒業することを目標にしていましたが、留学で失敗したと思うことは、語学に力を入れすぎたことです。
英語が流暢に話せるようになりたいという憧れが、その後の選択肢を狭めて大学卒業を遅らせてしまったように思います。
最短距離で大学を卒業した友人
単純な比較はできませんが、ある友人と比べると私は2年遅れで大学を卒業しました。
その友人は、大学の語学コースから始めましたが、4学期制だったこともあり、レベルの低いクラスから始めたものの、翌年には大学の正規学部に入っていました。
多くの学生が夏休みを取っている間にも授業に出てどんどん単位を取っていました。語学コースの終了後、約3年でアメリカの大学を卒業して、私がまだ大学に通っている頃には、すでに大学院へ進んでいました。
この友人は、アメリカの大学院まで行っていながら英会話が苦手です。アメリカの大学院を出たとは思えないほどお粗末な英会話力だと本人も自虐的に言っているほどです。
理系だったこともあり、文系に比べて「英語を話す」という機会が少なかったのも事実ですが、特に英語が流暢に話せることにこだわりはないようでした。
なぜなら、彼の留学目的は理系の大学院を卒業することだったからです。
アメリカで大学院を出て、ある大手企業に就職することが彼の目指していたものでした。そして、見事にそれを実行しました。
田舎のコミカレからスタートして出遅れる
私はどうかというと、まずは流暢に英語が話せるようになりたいという思いから、田舎のコミュニティー・カレッジに通い始めました。
英語が不自由なく話せるようになりたいと思ったので、まず、日本人が少ないところへ行くべきだと思ったのです。
英語を上達させるのには、日本人学生のできるだけいない環境がよく、そして、ホームステイもよいと留学雑誌等で読んでいて、地方のコミカレに通ってホームステイするというのが王道のように考えていました。
アメリカの大学では日本人がたくさんいて、語学コースでは100人単位で日本人学生がいることがありました。そんな環境にいたら、日本語で溢れていて、とても英語の生活なんてできないと思っていました。
そこで、地方のコミカレという選択になったのです。日本人が少なく、英語が話せる環境にあったことは確かですが、カレッジ自体のレベルが低すぎました。
レベルの低い地方のコミカレ
私の入った田舎のコミカレの語学コースでは、先生たちの指導レベルは低く、大学のように細かく構成されたスケジュールもありませんでした。また、十分な講師を揃えられず、小学校の先生や学生のバイトを使っていました。
試験無しで誰でも入れるようなコースですから、学習意欲のない学生が多く、向上心もありません。そういった学生が集まるところでは、大概、学生同士のいざこざが絶えず、よほど強い意志を持っていないとこういった学生のグループに取り込まれてしまいます。
規模が小さいので、提供されているコースが少なく、進学のために学ぶ選択肢が少ない状況でした。夏は講義がないので、芝刈りのおじさんがいる程度で閑散としていました。
大きな大学では夏でも賑やかで、様々なコースが提供されている環境と比べると何とも寂しいところでした。大学のように図書館が整っていたり、24時間使える自習室や最新のコンピュータラボなんて夢のような環境でした。
日本人が少なかったことは確かですが、後に通った大学と比べたら、そのレベルの差は明らかで、教育機関として十分に機能していないのではと思えるほどでした。
焦って失敗を繰り返す日々
最初の一歩でつまずいてしまった私は、別のコミカレの語学コースに転校を繰り返したりして、時間だけを無駄にしました。
後から思い返しても遅いですが、目標の大学付属の語学コースに入り、そこで必死に学んで、一直線で大学入学を目指すべきではなかったかと後悔したものです。
語学コースを終えて正規学部で学ぶようになってからは、時間を無駄にしてしまったという焦りから、無理してたくさんの教科を選択しました。しかし、授業にやっとついていける状態で、一時期の成績は落第寸前でした。
色々な間違いに気がついて、焦ってもどうにもならないと冷静になった後は成績も上がって、希望する大学に編入できる成績を取り戻しましたが、自分としては「時すでに遅し」という感じでした。
私の留学仲間でも、元々の事情は多少異なりますが、結果として似たような状況に陥って、大学を諦めてコミカレ卒業で留学を終える人たちが何人もいました。
早く卒業できることを優先した大学選び
大学編入の際には、今更ながら希望していた大学に行くのか、それとも別の大学に行くのか迷いました。
なぜ迷ったかといえば、希望する大学を選んだ場合、私の学力ではついていくのに精一杯の大学で、簡単に卒業できないリスクがあり、これ以上、大学卒業という目的達成を遅らせることはできないという不安が大きかったのです。
アメリカでは、一般に、大学のレベルが上がると授業料も高くなります。卒業が遅れるようなことがあれば、授業料が高いので資金的に卒業できなくなる心配もありました。
留学資金の心配、そして、早く確実に卒業したという思いから、希望の大学は諦めて、レベルを下げることにしました。
大学のレベルを下げれば、授業料が安くなりますし、ついて行くだけで精一杯の大学に比べれば、計画通り卒業できる確率が高かったのです。
中途半端な計画で遠回りをして、目指した大学に行けない状態になったのは、自業自得も多分にありますが、留学という世界を知らなすぎたと思いました。まさに身を以て学んだようなものです。
大学卒業と挫折感
大学へ編入学した後は、卒業まであっという間でした。
大学ではスケジュールが細かく決まっていて余計な迷いがなく、更に蔵書が豊富な図書館や最先端のコンピューターラボなど学ぶ環境が整っていたので、後は必死で学ぶだけでした。
大学教授のレベルは高く、講義も充実していました。厳しい教授もいましたが、教授のオフィスに質問しに行って不在の時には秘書さんがしっかり記録してくれていて、その日の夜に教授から電話がかかってきて熱心に指導してくれたりもしました。
もっと早くこの環境に身を置いていたら、どれほど充実した留学になっただろうと思ったものです。
地方のコミカレを経験したからこそ、大学のありがたみを感じることができた面もありましたが、大学卒業を迎えたときは、達成感より残念な気持ちの方が大きかったです。
卒業を控えた学生の多くは、卒業式を楽しみにしていたと思うのですが、私は全く気乗りがしなくて卒業式には出ませんでした。
卒業式には出ていないし、そのときの写真もないので、卒業していないのでは?と周りから思われていたかもしれません。
卒業式の日は、大学のある小さな街はちょっとしたお祭り騒ぎでしたが、私はアパートで特別変わらない日を過ごしていました。
語学よりもっと学びたいことがある
今思い返してみれば、様々な都市に行って、色々な学校で学んで、たくさんの人達に出会えたことはよかったです。
人並み以上に語学は学んだつもりですが、それが役に立っているかと聞かれると、残念ながら、それほど役に立っていません。
海外との取引先等で英語は使いますが、ネット社会が浸透してからはメールでやり取りすることが多く、流暢に話せるかどうかというのは余り関係ないです。
元々、「英語を話す」という職業(通訳や英語講師等)に就きたかったわけではなく、アメリカで一番に学びたかったのは起業やビジネス系の知識でした。でも、それに費やした時間は余り長くありませんでした。
日本で活躍している留学経験者には、大企業の社長、著名な研究者、ベンチャー企業の立役者、ジャーナリスト、テレビで活躍するアナウンサーやキャスターなどたくさんの人たちがいます。
彼らは、必ずしも英語が流暢ではありません。一般の日本人から見たら、彼らは英語がペラペラと言われますが、ネイティブや帰国子女と比べたらレベルは低いことが多いです。でも、社会的な貢献や成功という意味では、留学で学んだことを活かして高い成果を上げているでしょう。
アメリカの大学を卒業するにはそれ相応の英語力は必要です。ただ、語学を含めえて別のことに時間を取られすぎてしまうと、その先にある大きな目標や夢が遠のいていしまうかもしれません。
人生の回り道は決して悪いことではありませんが、留学が中途半端で終わらないように、慎重に計画をしてそれを実行していってください。